駆 動 輪 。

その脚を、ゆっくりと前へ。

20050425

当時18歳、期待9割と不安1割の心中で入社後の研修で教習所に通いつめていた頃だった。

朝、教室に入ると部屋のテレビがついていた。普段テレビを使うのは教習用ビデオを見るときくらいで、別にみんなも小学生じゃないのだが、この日は寄ってたかって皆がテレビに夢中になっていた。

『おはよう、朝からテレビなんてバレたら怒られるんじゃないか?』

普段なら和気藹々とした返事が返ってくるはずだが、テレビを囲っている同期数名は私の挨拶に返事もせず、まるで食い入るようにテレビをみつめていた。
私は気になって、荷物を自分の席に置いてテレビの前へと移動した。そして、そこに映し出されていた状況を理解するのに、少々の時間を要した。

 

声を震わせながら懸命にリポートする女性のアナウンサー。

その後ろで懸命な救助活動を行う警察と消防。

不安そうに見つめる群衆。

尼崎市で電車脱線』と表示された字幕。

 

『電車が脱線したらしいー』
今になって振り返れば、これから鉄道員になる身としては軽率な反応だったと思う。だが、コレがワタシが最初にテレビをみた時の最初の印象だった。

続いて画面が変わる。上空の報道ヘリからの中継のようだ。
そして、私のテレビに映し出された“事件”の印象は、ここで大きく変わった。

 

緩やかに右カーブを描いている線路の途中、銀色の電車の一部が脱線している。
それもただの脱線ではない。線路脇のマンションに激突している。
そして激突している車両は文字通り“くの字”型に折り潰されていて、これが本当に鉄道車両なのか、ミニチュアなんじゃないかと疑ってしまうほどだ。

報道ヘリのリポーターが“くの字”に曲がった車両が1両目と思われる、脱線した車両同士が密接して救助が困難である、と興奮したような声色で状況を解説している。

 

だが、同じようにテレビを見ていた同期の小森が『1両足りない・・・』と小さく言葉を漏らした。
小森は同期の中では有名な鉄道ファンだ。自他共に認めるマニア的知識は良し悪しはともかく一目置かれていたが、その小森が『1両足りない』『あれは2号車だと思う』『だとしたら1号車は何処にいった?』と独り言を重ねている。私には小森の独り言が理解できなかった。

 

教育担当の主任が入室してきたのは、本来朝礼が行われる9時30分を30分ほど過ぎた頃だった。それまで食い入るようにテレビを見ていた私たちは勝手なテレビの使用に怒られることを覚悟したが、主任はいたって真面目な顔つきと声色で『全員揃っているな?今日は授業の内容を変更して、テレビを見ながら鉄道事故と列車防護についての授業を行う』と口にし、朝礼を行わず授業がはじまった。

 

 

あれから14年が経過した。
入社14年目の私は運転士として日々多くの乗客を運んでいるが、この時期になると必ずと言っていいほど14年前のことを思い出す。そして、その度に運転士として。いや、鉄道員として日々何をすべきか、何を意識すべきか、何を心がけるべきかを再確認する。

この数年に入社してきた若い子たちに事故の話をしても反応は薄い。これから入社してくる若い子たちは事故の後に生まれた世代だ。
他社での出来事とはいえ、同じ鉄道で働く身として決して忘れてはいけないことが日常と言う波に飲まれ風化しつつある現状に、一人の鉄道員として稀に不安に陥る・・・と言ったら、多くの人に『お前は真面目だなあ』と笑われるだろう。
だが笑われたっていい。鉄道員として、乗客の命を預かる者として、後輩たちには『どんなことがあっても安全確認だけは怠るな』と教えていきたい。

 

余談だが、こんな私にも家族ができた。5歳になる息子は「でんしゃすき!!」「ぱぱかっこいい!!」「ぱぱみたいなでんしゃのうんてんしゅさんになる!!」と言って、毎日のように電車を沿線脇の幼稚園から友達と一緒に見送っているそうだ。

そんな純粋な息子達の命と夢を守るために、私は今日も幼稚園近くに差し掛かると『制限65』と喚呼した。