駆 動 輪 。

その脚を、ゆっくりと前へ。

2024年はじめてのブログ更新です。本年もよろしくお願いします(喪中です)。

 

2024年にはいって七宮会とか雪奈會とかコロナで緊急搬送されたとかプラレールスタンプラリーやったとか話すこともあるんですか、ちょっと書き留めておきたい事があるのでチラシの裏くらいの気持ちで更新します。

 

 

この記事を書いている今日、第11回鉄道模型広場inルミエールが無事閉幕しました。言わずともプラレーラーには「ふちゅう」の愛称で知られるプラレール運転会です。

もちろん別に記事を書くとして(というか第10回の記事も書け)。

 

2016年12月に空転さん、1000番台さんと共にプラレーラーの集い的な「プラレールひろはinふちゅう」を開催しました。

そこから会場として利用したルミエール府中の指定管理者、京王設備サービスさんにお声掛けいただいて「鉄道模型広場inルミエール」が開催され、今年で7年半が経ちました。

コロナや施設の改修工事で開催できない時期もあったとはいえ、7年半という時間はあっという間で、当時まだまだ若手だと思っていた子たちはさらに下の世代たちの良き先輩になっていたり、鉄道模型広場が「憧れ」とか「参加してみたい」と言われるような場所となりました。

 

もちろん、それは鉄道模型広場を支えてくれるプラレーラーのみんな、今ではすっかり大事なメンバーとなった七宮会のみなさん、毎回楽しみにしてくれている多摩地域のみなさん、僕らのワガママに付き合ってくださる京王設備サービスさんなど、あの会場にいる全員のおかげであることに間違いありません。

 

ただ、たまに「この規模の運転会をまとめあげる空転さん、福遠さんに頭があがらないです」「誰でもできることではない、すごいことだよ」と褒めていただく事があります。

もちろん大変嬉しいことなのですが、特にそう褒めていただくと顔と感情がぐちゃぐちゃになりそうな時があります。

 

僕がまだプラレールの改造をしていない、でもプラレールが好きだった小学生の頃、インターネット越しに見ていたホームページや運転会に携わっている趣味の先輩たちに褒めていただいた時です。

 

 

 

あのキラキラした、ワクワクした、ドキドキした世界に、いつしか夢を見ていた私。

 

祖父を巻き込んで部屋いっぱいに青いレールを広げ、好きな車両をめいいっぱい走らせたあの日々。

 

そして改造という一つの世界に入り、さらには運転会の主催・運営に関わって15年が経とうとしています。

 

あの頃の夢が、当時は想像していなかった大きさに膨れ上がって現実になっています。

 

そんな今、夢を見させてくれた人たちに褒めてもらえる。こんな嬉しいことはありません。

 

 

プラレールに限らず、公開と呼ばれる一般の人たちを招き入れるイベントの運営を経験した人ならわかる、経験した人にしかわからない辛さ、苦しみがあります。

 

正直に言いましょう。私は鉄道模型広場のリーダー的立ち位置から降りたい。そう思うことも少なくありません。親しい仲間には常に「ふちゅうやりたくない」と愚痴をこぼすことがあります。本当です。

 

仕事はハード。連勤と残業の合間に打ち合わせと準備。当日の朝は1番に会場にきて支度をはじめて、会期中は神経をすり減らして周りを見ながら動いて、お昼を食べ損ねたまま撤収して、1番最後に会場をでる。そういえばプラレール触ったっけ?自分の改造プラレールを展示したっけ?そもそも最後に自分で作品作ったのいつだっけ?

 

少し誇張しましたが、でも大体こんな感じ。

 

それでも「次回も頑張ろう」と思えるのは、遊びにきた来場者の「すごい楽しかった!」の声や、各プラレーラーの「楽しい時間をありがとうございました!」の声があるからに他ありません。

憧れていた人たちから言われたら、もう涙チョチョギレ、目からハイドロポンプ、涙で濡れた部屋にノックの音が飛び込んだ誰にも会えない顔なのに....もうなんだよ、どちらさま?デンシャーマン?てめぇ、この野郎。

 

 

 

こちらこそ、いつもありがとうございます。

 

 

みなさんに見させてもらったたくさんの夢を、今度は私たちが次世代にバトンタッチする番だと思って、これからも楽しい場を作っていきたいです。

 

 

まだまだご迷惑をおかけすることも多い未熟者ですが、どうぞ宜しくお願いします。