駆 動 輪 。

その脚を、ゆっくりと前へ。

その、消えゆく大正の命は…...(3)

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さて、そろそろ京都にきた本命に向かって出発…したのですが、途中‟事前調査をし万全の予習をしたうえで計画的に楽しむ派”の雅さんが『気になっている場所がある』と仰るので寄り道。

画像にありますように、なにやら不自然な築堤跡がありますね…雅さんは予習の段階でこの築堤跡が非常に気になった様子。

 

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道路を挟んだ反対側を見てみると、築堤の高さにむかって緩やかに上るサイクリングロードがありました。これはもしかすると、巷で話題の砂川案件的な、そんなものかもしれません。

 

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さらに進むと、サイクリングロードと一般道を交差するように錆びた踏切警報器もありました。これはもしかしなくても、巷で話題の砂川案件的な、そんなものかもしれません。

 

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てなわけで(唐突)、目的地の加悦SL広場に到着しました。
同時にユッキーさんと職場の先輩さん、西電さん、KTR君が合流。貴重な機関車群が保管されていながら、惜しくも3月の閉園が決定した加悦SL広場を堪能します。

…といいましても、加悦SL広場については周囲のオタクが散々足を運んでその様子をレポートしていますので、各車両についての詳細情報や感想は割愛。

 

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当然お目当てはキハ08。

 

 こういうことがしたかったんだって(当人はそこまで興味なし)。

 

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これは投炭練習台の前で熱いオタトークを交わす雅さんと西電さん。

 

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そんな熱いオタトークを繰り広げる2名とは対照的に寒さと睡魔に襲われ冷え切った空気のユッキーさんと先輩さん。

 

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そしてこの旅のゴール‟4号機関車”。どうです、このメカメカしさ。かっこいいでしょう?鉄道黎明期によくある欧米機関車の面影を残した感じがトーマス大好きオタク(私)には本当にツボで、一度でいいから間近で見たいと思っていたのです。

…じゃあそれが旅のスタートである東京駅JR丸の内南口とゴールの加悦鉄道4号機関車がどういう結びつきになるのか、気になりますよね?気になりますよね?????すごい気になりますよね????????

 

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この4号機関車は1921年に製造されています。そしてその頃の日本といえば、まさに大正デモクラシーの真っただ中でした。大正デモクラシーという言葉…もう皆さん、お分かりになりましたか?

そう、旅のゴールである加悦鉄道4号機関車もとい1250形蒸気機関車川崎造船所1200系)が誕生した1921年、時の首相だった原敬がスタート地点の東京駅JR丸の内南口で暗殺され命を落としていたのです。

それだけならちょっとした偶然をかなり強引な理由付けした旅でしかありませんが、2者を結びつける縁はもう一つあります。

 

 

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原敬は1918年に内閣総理大臣となり、様々な政策を計画・実行していきました。
とりわけ『交通機関の整備』には熱心で、地方の鉄道敷設には深い理解を示した上で公債を発行するほどだったそうです。

そういった原内閣の方針が後押しとなって各地方鉄道が次々と設立されていき、1920年に一つの地方鉄道が設立されました。‟河東鉄道”、今の長野電鉄にあたる会社です。

そしてその河東鉄道が開業に際し、川崎造船所に発注した蒸気機関車のうち1台こそ4号機関車という、まあ直接ではありませんが、原敬と4号機関車にはそういう関係があるのです。

 

原敬の命の火が消えても、4号機関車の命の火は今日まで消えることなく大事に保存されてきました。しかし、加悦SL広場の閉園に際し、もし引き取り手がいなければ、最悪4号機関車は廃車にとなってしまうでしょう。その前に一目見てみたい、そんな思いから、今回このような旅行を計画し実行するに至りました。

 

私個人でどうこうできる問題でないことを承知の上で、あえて無責任なことを言うのであれば、消えゆく大正の命が今後どうなるか。せめていい報が聞けることを切に願うばかりです。

 

 

おわり。

 

 

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で、東京に戻らなくてはなりません。2日間の休日のうち、もぎ取れたのは1日のみでもう1日は仕事になりましたので、雅さんが送ってくれる限界点の静岡から東京までの終電に間に合うようにしなくてはなりません。

が、SL広場の後に訪れた資料館で思った以上にまったり過ごしてしまった挙句、昼の海鮮丼では腹が膨れず空腹をこらえきれなかった私と雅さんは、高速を飛ばして駆け込むように焼肉屋へピットイン。すぐに給油(肉)します。

ちなみに午前中に引いたおみくじの結果(私…年上に集れ、雅さん…使うが吉)を踏まえ、私は雅さんに集り、雅さんはお金を使い、2名とも腹を満たして1石3鳥。

 

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そこから黙々と運転をする雅さんを背にして、36時間勤務→夜行バスで旅行と限界に近かった私は失礼を承知で居眠り。起こされて目を覚ますと雅さんの自宅からほど近い満喫で、時刻は午前0時…。いうまでもなく電車なんて走っていないので、満喫で一泊し、翌日の始発で東京に戻り、着替えを済ませてそのまま休日出勤48時間コースに挑みました。まじ死ぬかと思った。てか死んだ。

 

てなわけで改めまして、雅さん、ユッキーさん、先輩さん、西電さん、KTRくん、お世話になりました。ありがとうございました。またよろしくお願いします。